マイケル・ロジャース Michael ROGERS

供物

身体が客体化されるとき、あるいは身体の一部分がフェティシズムの対象として供されるとき、身体は匿名性を帯びる。そして、客体化されたその身体から個人的な連関が剥奪されるなら、ある意味で、身体は個別性を喪失し、人間という存在の概念を部分的に定義づけるにすぎないものとなる。

とはいえ、部分を深慮するなら、その総体に思いを馳せることになる。人の肉体的な部分は、精神や心と区別される。肉体の断片と対峙した私たちは、完璧な総体を求めて、パズルの失われた一片を見つけようとするように、肉体と精神や心との連関を成立させようと、理に背いてでも、希求しがちである。

匿名的な断片は不完全で定義を欠いた疑問符のようなものである。断片とは、解明されることを待つ神秘の貯蔵庫なのである。

 

A Votive Offering

When the body is objectified,or a part of the body is subject to fetish then it

becomes anonymous. Stripped of personal associations the body objectified is in a

sense everyone's body and a partial definition of an idea of being a human being.

However,when contemplating the part we imagine the whole. The physical part of a

person is distinguished from the mind and spirit.Confronted with the fragment of

the physical we often, in spite of logic,wish to find the missing piece of the

puzzle, make connections to the mind and spirit in a search for something whole

and complete.The anonymous fragment is like a question mark-incomplete and laching

definition. The fragment is the preservation of a mystery that waits to be solved.

 

1955 アメリカイリノイ州ペオリア生まれ
1977 ウエスタン・イリノイ大学美術科卒業
1978 ウエスタン・イリノイ大学彫刻科修士課程修了
1981 イリノイ大学斜シャンペイン校彫刻、ガラス修士課程修了
1991 愛知教育大学綜合造形コース・ガラス部門助教授 *現在
   
1987 「ヤマハ・グラス・ナウ」東京*93まで
1989 「ガラスによる新しい形展 」エヴァンズヴィル美術館/インディアナ州
  「45回ワバシュ・ヴァリ展 」シェルドン・スオウブ美術館 /インディアナ州
1990 「ハバタート・ギャラリー国際招待展」 フロリダ州ポカ・ラント*91
1991 「第2回現代ガラスの意匠による慈善オークション」 ニューヨーク
1992 「ギャラリーL 招待展」 ハンブルグ
  「富山国際造形展」富山
1994 「サントリー・プライズ・エキシビション」 サントリー美術館/東京
1995 「マイケル ロジャースと仲間たち展 」ジョイス・ペーター・ギャラリー /ミシガン州
1998 「日本の現代ガラスの一断面 」愛知県陶磁資料館/瀬戸
  「GLASS−MEDIA:媒体物としてのガラス」 豊田市美術館ギャラリー/豊田