笠原 由起子 KASAHARA yukiko

 

「メタモルフォーゼ」−場の記憶−

思考が優先するシステムのなかでは、自然は排除され、人間もまた物質的な枠の中で括られてしまう可能性を持つ。 現代を生きる人間に、もう本能を呼び起こす力は無いと思うけれど、人間もまた自然の一部であるという認識さえもうすれていくとしたら、あまりにも悲しい。 私は、日常のフィールドを歩き、型を取る。その行為を通して出会う「現実」の小さな世界に存在する形態の美しさと、その進化に費やされた莫大な時間、そしてそこに明確にある「生」と「死」の繰り返しを想像しただけで、素直な感動を覚える。 この作業は、私の体が「現実」を確かめながら、風景や時間を記憶していく過程をたどる。 型取った破片は日々増え続ける。 ひとつの小さな花が、つぼみから花へと変容し散り枯れる様に季節や時間を通してさまざまな側面を見せてくれるから。 私がこの行為と作品を通して見つめていきたいものは、物質的に括られつつある枠、概念、観念的な思考からはじき出された心をとらえていく事だ。 物語を想起させる空間を通して、それらの問題を提示したい。そこにこそたくさんの、美しいものが潜むと信じているから。