磯谷商店 (長尾建吉・一平・健一) 更新日2022.2-7 いそがやトップページへ  いそがやアートCV 0

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1850 (山本芳翠 美濃國恵那郡明知村字野志 山本権八の長男として生まれる)
1860 万延元年 建吉 0 研師組頭・磯谷利右衛門の三男として静岡研屋町71番地に生まれる。 母・みき (2/10)
1874 明治7年 建吉 15 東京日本橋住吉町 斎藤善兵衛商店 店員となる (3月)
1877 明治10年 建吉 18 芝区虎ノ門でフランス語を学ぶ 
1878 明治11年 建吉 19 斎藤善兵衛商店、パリ万国博覧会出店のため松方総裁随行員として横浜港から英国船「タナエス号」にて出帆 (2/11) 
山本芳翠も随行員として渡欧。
建吉 19 香港にてフランス船「ヤンツエ号」に乗り換える。
建吉 19 パリ到着 (3/29)
建吉 19 「パリ万国博覧会Expo 1878」 開会 シャイヨー宮・トロカデロ広場・シャン・ド・マルス パリ/フランス (5/20-11/10)
1879 明治12年 建吉 20 パリより帰国 随行員記念章を受ける (1月)
建吉 20 シドニー市博覧会に静岡県嘱託として参加のため横浜港より英国船「マアラカ号」にて出帆 (5/23)
建吉 20 オーストラリア・シドニーより帰国 (11/10)
1880 明治13年 建吉 21 外務省一等書記官江木高遠氏と商業視察のため渡米 (3月)
建吉 21 「CIRCASSIA号」でニューヨーク、グラスゴー経由でパリに着く (5/22)
江木高遠氏ニューヨークにて死去 (6/6) 
建吉 21

マルセイユから帰国の途につく (11/15)

1881 明治14年 建吉 22 帰国 (1月)
建吉 22 斎藤善兵衛商店を退社。 静岡に戻る
建吉 22 父・磯谷利右衛門死去 (12/12)
1882 明治15年 建吉 23 長兄・利三二と輸出向け漆塗りの研究(色塗り・変り塗)を行なう
建吉 23 長尾寛蔵の養子となる (7/8)
建吉 23 養父・長尾寛蔵死去 (7/16)
1884 (黒田清輝 フランスへ留学)
1886 明治19年 建吉 27 長男・一平生まれる (母・さだ 4/13)
1887 明治20年 建吉 28 (山本芳翠 パリより帰国)
1888 明治21年 建吉 29 上京
1889 明治22年 建吉 30 本郷区湯島4丁目3番地に塗師屋を開業。 内妻・川上茂登子と同棲
1891 明治24年 建吉 32 芝区烏森5番地山本芳翠主催「洋風額縁研究所」に入所
1892 明治25年 建吉 33

芝区愛宕町2丁目14番地に工場を建て西洋風額縁製造業をはじめる

建吉 33 鉄板焼漆の特許を出願する (5月)
建吉 33 内務省土木局臨時建築工場に石膏を納入する
(山本芳翠 十二支(三菱?)、 宮内庁納品作、本願寺納品作)
白瀧幾之助氏 寄宿
1893 明治26年 建吉 34 横須賀砲室内防音装置の工事を行う 
(黒田清輝 フランスより帰国)
1894 明治27年 建吉 35 額縁用模様を「ロール型」で作製することを始める 
建吉 35 北連蔵、白滝幾之助と静岡に遊ぶ
(日清戦争)
1895 明治28年 建吉 36 京都博覧会 洋画陳列を受け持つ
一平 9 上京 (夏)
1898 明治31年 建吉 39 黒田清輝の「昔話」制作準備のため日光に赴く
1899 明治32年 建吉 40 駿州静浦保養館に、黒田、久米、安藤、菊池、佐野諸先生と遊ぶ
1901 明治34年 建吉 42 澤田あい を養女とする (3月)
建吉 42 年末から黒田清輝・久米桂 佐野昭と伊豆に遊ぶ (12/30-1/2/1902)
1902 明治35年 建吉 43 店員・島村文吉 死去 (7/22)
1903 明治36年 建吉 44 大坂第5回内国勧業博覧会 (5月)
建吉 44 癸卯園遊会 活人画背景を山本芳翠と作成 開催場所:水交社(浜離宮隣) 築地/東京 (4/25・26)  * 「癸卯園遊会-活人画と日本女性」 
建吉 44 歌劇「オルフェウス」(日本初演)の背景を山本芳翠と作成 東京音楽学校にて上演
1904 明治37年 建吉 45 京橋区竹川町商栄館に常設展覧会場を開設 (1905年まで)
建吉 45 有栖川宮家室内装飾を受ける
建吉 45 養女あい 石井亀次郎と結婚 (5/16)
青山熊治氏 寄宿 (M38との説もあり)
(日露戦争)
1905 明治38年 建吉 46 芝区新櫻田町19番地 (久保田米僊宅 2011年現在:港区西新橋1-4-12) に工場を移し商号を「磯谷商店」とする (3-4月ごろ)
建吉 46 「LS」会主催の恤兵肉筆絵葉書画展を開催 開催場所:日本美術協会 上野/東京(6/22)
建吉 46 「LS」 発行 (白馬会雑誌、四六倍判) (7/8) 2号まで
1906 明治39年 建吉 47 東北凶作地方救済慈善大会活人画を和田英作と作成 開催場所:青木子爵邸 (3/15) 
建吉 47 山本芳翠 磯谷商店3階に2月ほど滞在 (5月)
建吉 47 内妻・川上茂登子 芝新桜田町にて死去 (5/9)  戒名:実譽清涼真本信女 
建吉 47 山本芳翠 芝白金志田町にて急逝 (11/15)  戒名:松光院芳仙翠翁居士 (長尾の墓は芝高輪泉岳寺・山本家墓所の隣にある)
建吉 47 赤坂離宮の仕事を請けるも、関係者との折り合い悪く中止
1907 明治40年 建吉 48 岡田三郎助作天井画の貼り付けおよび金箔押し 渡邊千秋邸 高輪/東京   
建吉 48 博覧会の美術館、朝鮮館の仕事をする
1908 明治41年 建吉 49 第1回文部省美術展覧会 洋画陳列を担当 以降毎回
1909 明治42年 建吉 50 第一回嶽陽美術展覧会 静岡市商品陳列館 (静岡県に美術研究所を設立のため)
建吉 50

「泰西名畫展覧會」 企画・主催 五十嵐(盆栽店) 神楽坂/東京 (7/1-31 am9:00-pm11:00)

建吉 50 岩村透男と京都に遊ぶ (9月)
1910 明治43年 建吉 51 伊香保に遊ぶ (9/18)
1911 明治44年 建吉 52 「欧州油画展覧会」主催 開催場所:上野公園竹之台陳列館 /東京 出品作家:藤島武二 白瀧幾之助 ほか
1912 明治45年 建吉 53 油絵展主催 (5/9-6/7) (2011.大阪市立美術館 岸田劉生展 図録年譜参照)
1913 大正2年 建吉 54 青山熊冶と千葉県大原海岸に遊ぶ (1月)
建吉 54 山田ちいと再婚 (8/20)
建吉 54 大阪国民美術協会展覧会 (10月)
建吉 54 「牛呑会」旅行 箱根塔ノ沢新玉の湯
一平 27 佐藤志津と結婚
一平 27 長女・文江生まれる (9/13)
彫刻家・小倉惣次郎死去 69歳 (5/24) (2016年現在 泉岳寺・長尾の墓所に「彫刻家小倉惣次郎の墓」がある)
1914 大正3年 建吉 55 東京大正博覧会に額を出品 金賞受賞
建吉 55

東京日日新聞より美術界功労者として金賞受賞

1915 大正4年 建吉 56 日比谷美術館後援会事務所 
建吉 56 青森、盛岡、松島にあそぶ
建吉 56

壁画取り付け作業 日光東照宮賓物館 (画:和田栄作)  日光/栃木

1916 大正5年 建吉 57 熊本洋画展覧会 東都諸先生の作品管理責任者として熊本へ赴く
1917 大正6年 建吉 58 上野廣一 天井絵 取り付け作業 山村兆別邸 長楽館 /京都
建吉 58 尚美会、正風会展覧会を後援 /静岡
1918 大正7年 建吉 59 静岡市川邊に居を移す
建吉 59 福岡展覧会 協力
建吉 59 讃岐金毘羅を経て別府に遊ぶ 
1919 大正8年 建吉 60
一平 33 長男・ 健一生まれる  (8/24)
1920 大正9年 建吉 61 還暦祝い 川邊/静岡 (2/8)
建吉 61 大分共進会に出張 別府に遊ぶ (4月)
建吉 61 還暦祝い 黒田清輝主催 三河屋ホテル 箱根小涌谷/神奈川 (10/23)
1921 大正10年 一平35 「各派名流展」 一平洋行後援のための展覧会 (3/6 劉生日記)
建吉 62 長男一平が欧州に渡航のため上京 (3/18)
一平 35

日本郵船「佐渡丸」にて横浜からフランスへ向かう (3/23)  * 旅

一平 35 シンガポール着 (4/9)
一平 35 スエズ運河通過 (5/1)
一平 35 マルセイユ着 (5/7)
一平 35 パリ着 (5/8) 
一平35 マルセイユ発 (12月) 青山熊治見送りにマルセイユまで来てくれる。
1922 大正11年 建吉 63 赤坂御所額修理及び飾りつけ
建吉 63 青山熊冶と大阪及び城之崎温泉に遊ぶ (12月)
一平36 「外国の額縁」文:長尾一平 掲載誌:日本の美術」14巻2号 (2月号)
1923 大正12年 建吉 64  関東大震災にさいし、在京家族の安否を心配して、徒歩で上京 (9月)
建吉 64  霞ヶ関離宮の摂政宮殿下御尊像額修理のため参内する
健一 4  震災後東京の治安が不安なため、建吉が静岡につれて帰る (1929年まで)
磯谷商店に青山熊治氏寄留
1924 大正13年 建吉 65  東京日日新聞より金賞を受ける
建吉 65  黒田清輝逝去のため上京 (7/15)
建吉 65  東京日日新聞奉献の東宮、良子両殿下御成婚記念御尊影額作成
田村一男氏、磯谷を手伝いながら本郷絵画研究所に通い、岡田三郎助に師事
1926 大正15年 建吉 67  岩村透男十年忌のため相州三崎櫻御所本瑞寺に赴く
1927 昭和2年 建吉 68  明治大帝御尊像保存設備ご用命のため参殿
建吉 68  明治大正名作展覧会出品記念として銀杯を賜る (6/2)
建吉 68  明治神宮宮司一戸兵衛の洗筆額を屋形町神明宮へ奉納 (6/16)
1928 一平 42  「額縁雑話」 文:長尾一平 掲載誌:美術新論 3巻4号 (4月)
1929 昭和4年 建吉 70 建吉・生別の宴 花月園/鶴見 (6/23)
建吉 70 山本芳翠二十三回忌のために上京 (11/15)
健一 10 静岡より東京に戻る。 手続きが終わるまで一学期ほど泰明小学校に通い、そののち暁星学園編入
1930 昭和5年 建吉 71 古希生別会 浮月楼/静岡 (2月)
1931 昭和6年 建吉 72 動脈硬化のため身体不自由となる
1933 昭和8年 一平 「青山熊治画集」 編集  出版:アトリエ社 
1935 昭和10年 「洋画のお爺さん 長尾翁に藍儒褒章 画壇のお歴々が奔走」 東京朝日新聞 (4/3)
1936 昭和11年 一平 50 嶽陽長尾建吉 発行 (1/10)
1937 昭和12年 健一 暁星中學校第46回(中学38回)卒業 第5学年A組
一平 娘 文江 死去 (6/30) 文誉灑光大姉
1938 昭和13年 建吉 79 建吉逝去 (12/3) 静岡市天王町1丁目25番地にて  戒名・嶽陽院建譽白翁居士
1938 昭和14年 一平53 芝高輪泉岳寺に建吉納骨 (11/3) 
1947 昭和16年 一平 山本芳翠の伝記出版記念祝賀会(丸の内マーブル)を白瀧幾之助、和田三造、北蓮蔵、石川欽一郎らとともに発起する。
1955 s30 ちゑ 江古田にて死去 (12/24)
1963 昭和38年 健一44 有限会社磯谷商店設立 東京都港区西新橋1丁目4番地12号(芝区新櫻田町19番地)に自社ビルを建てる
1970 昭和45年 長尾建吉三十三回忌 高輪泉岳寺 (4/25)
1971 s46 長尾一平 東京医科歯科大学病院に入院・手術 (12月)
1973 s48 一平 88歳のお祝い 八芳園 目黒/東京 (4月)
1978

昭和53年

一平92 一平逝去 (10/26) 東京都中野総合病院にて 戒名・竹子庵空山平常居士 芝高輪泉岳寺に納骨
1979 昭和54年 長尾一平遺作写真展」 ギャラリーフィガロ 日本橋/東京 (10/26-28)
1980 昭和55年 志津逝去 86歳 (5/2) 東京都中野区江古田の自宅にて  戒名・桃花軒静室妙性大姉 芝高輪泉岳寺に納骨
1984 昭和59年 一平7回忌 泉岳寺 高輪/東京 (10/20)
1996 参考書誌 「磯谷商店物語」 文:長尾健一  掲載紙:「いそがや」 1966.4-1 第3号  発行:長尾健一
1995 平成7年 健一76 ビデオ制作 港区 「港区伝統工芸記録ビデオ 額縁を作る-長尾健一の技と心」 (3月)
1997 平成9年 健一78 健一逝去 (10/19) 神奈川県藤沢市片瀬山にて 戒名・浄功院健堂明徹居士 芝高輪泉岳寺に納骨
1999 「画家と額縁展」 西宮市大谷記念美術館 西宮/兵庫 (2/20-3/22)
2008 「湯浅一郎展」   群馬県立館林美術館 ( -4/5/2009)
2010 TV 「なんでも鑑定団」 長尾建吉旧蔵 黒田清輝作品
「白瀧幾之助展」 姫路市立美術館 姫路/兵庫 (9/11-10/31)
2013

「青山熊治展」 姫路市立美術館 姫路/兵庫 (9/14-10/20) 

2014

TVなんでも鑑定団 「田村一男作品」 田村一男の紹介の中で、磯谷商店に書生として暮らした時代が紹介される。 写真提供 (5/20)

2016 資料提供 ドキュメンタリ映画「あるアトリエの100年」 (110分) 制作:イメージブレイン (試写会 9/8.9.23)

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