林 真実子 器展 99.4/19(月) - 4/24(土)

 

生活を創るうつわ 樋田豊次郎(美術評論家)

 

 林真実子さんのうつわは、生活を創り出す。彼女のうつわが、顧客の生活に合

わせて選ばれるのではない。その反対で、彼女のうつわが、顧客に新しい生活の

仕方があることを気づかせてくれるのである。

 

 はじめて林さんのうつわを私が見たのは1989年だった。もう10年も前のことに

なる。そのころ彼女は、ボートのようなかたちをした長い楕円形の深皿を、大小

とりまぜてつくっていた。それらには縞模様や連続する丸文がバイアスにほどこ

されていて、いかにも当時はやっていた無国籍料理に似合いそうだった。

 彼女がそうした料理を好きだったのかどうかは知らないが、ボートのようなう

つわは当時の若い世代が築こうとする自由な家庭のイメージを的確に捉えてい

た。そのあたりの直感力が凄いと思った。しかし反面、形と文様が斬新ならばす

ぐにもてはやされた当時の陶芸ブームに流されている感じもして、今はまだ「思

索の始まりを待つ白紙状態」だ、などと言わずもがなの作家評を、ある陶芸のム

ックに書いてしまったこともある。

 つぎに林さんのうつわを目にしたのは、それから7年後のことだった。彼女の

個展に行ったのだが、このときは一新されている作品を見て、掛け値なしに感銘

を受けた。林さんと同じころデビューした陶芸家は大勢いたけれど、そのひとた

ちの多くが見た目の斬新さにこだわり続けて行き詰まっていたなかで、彼女は自

分なりの作風を獲得しはじめていたからである。

 そのとき見たのは、白磁の足付丸皿、角鉢、そして珈琲碗などだった。装飾と

いえば、淡い染付と銀彩の線文様ぐらいで、変哲がないといえばなかった。しか

しそれでいて、それらは従来の染付磁器とは違っていた。それも、見た目が違う

だけでなく、それらが使われるべき新しい生活までが想定されているように思わ

れた。

 つまり林さんは、かつての若い世代のひとたちが求めはじめていた、伝統やし

きたりに束縛されない、なにごとにおいても感性による好悪の判断が優先される

生活様式を、うつわによって表現していたのである。そうした生活は、おそらく

作家本人にとっても望ましいものだったに違いない。

 そしてさらに2年半が経った。今回の個展のための作品を見ると、林さんはも

はや世間が求める新しい生活を感じとるだけに止まらず、より積極的に、自分に

とって望ましい生活像を掴みはじめたようである。彼女がこのところ念頭におい

ていること、それは日常生活を独自に創り出すということではないだろうか。

 あらためて現在の私たちの暮らしを思い返してみると、それは多様化している

ようにみえて、実は単に区切りがあいまいになって、だらしなく平板化している

ことに気づかされる。下着ルックで街を歩き、国会で二世議員が増えるなど、フ

ァッションから道徳にいたるまで、家庭の外と内、生活の公と私の区別が崩れだ

している。こんな風潮のなかで、林さんはもう一度、自分の生き方を確保できる

場として、日常生活を取り戻そうとしているようなのだ。

 そのことは、今回の新作が伝統を継承しながらも、そこに作者独自の工夫が随

所に加えられていることからもうかがわれる。たとえば、うつわの基本フォルム

は硬質な磁器製の幾何形態でありながら、そこから受ける一般通念に反発して、

素地を軽石のような風合いにしたり、器物のエッジもビスケットを割ったかのよ

うに崩している。赤絵にしても、あえて白釉の上ではなく素地に直接描いて、水

彩風な感触を引きだしている。

 伝統やしきたりを受け容れながらも、もの静かに自分の日常を創ろうとす

る作者の生き方が、これらの工夫を編みださせたのだろう。こういう林真実子さ

んのうつわに、今度は世間の方が共鳴する番である。伝統やしきたりを忌避して

きたひとたちも、今では、なんでもありのメリハリのない生活に失望しだしてい

るからである。