関島寿子-かご-展 によせて 関島 寿子

普通良いものを作ろうと思うなら、「材料はこれでなくては」と厳選していくべきものと考えられている。どこでどの季節に採ったとか、何年目の樹だとかにこだわる。そして出来るだけ均質なものを揃えようと技を磨く。それはそれで合理的な理由があり、すごいなと思う。でも、少し角度を変えて、あまり選り好みをせずに、広い範囲のものを材料にしてみたらどうなるだろうか。私独自の目的を設定し、其れが達成されることを第一と考えてみる。私はかご作りをこのような実験としてつづけてきた。ある道具の新しい使い方を工夫できたとか、構造や空間について新たな解釈ができるようになったとかいう理由で、今まで使えなかった素材が使い物になるという経験をよくする。すると、自分の頭や手のもう一つの使い道が見つかったようでとても嬉しいのだ。私にとって、「新しい表現」とはこういう経験の果実である。

 

 「かご」であり続けるアート 端山聡子(平塚市美術館)

 関島寿子さんの作品をはじめて見た時に、「これがかご?どうして?」と私は思った。一般的に「かご」は竹、つる、籐、針金などの素材で、編む、組むなどの方法でつくられ、食物や花を入れる、という用途がある立体物である。私たちは日本の伝統工芸の竹かご、料理に使う竹の笊、買い物籠、鳥籠なども知ってはいるが、それらとアートの「かご」は頭の中でそれぞれ別の場所にあって、連続させては考えにくい。ところが関島さんは、枝に張られた蜘蛛の巣もテキスタイルも漁具も建築も「かご」とのつながりで見ていく。関島さんのワークショップを受講すると、「かご」を見つける眼と、「かご」とは何かという概念を考えるきっかけを獲得し、世の中の至る所に「かご」を発見することができるようになる。 関島さんの考える「かご」は概念としても非常に大きく、素材に向き合う態度や、製作の方法論には確固とした論理があるので、構造としても、素材としても、技術としても、概念としても作品は「かご」であることをやめない。
 また、関島さんは身の回りにある物事のおもしろさの発見や新たな認識が意識的に製作へとつながっている、つまり平凡な日常が創造的な時空間へと転換している中で生活と製作をしている。自分自身が学ぶプロセスに自覚的であり、学んだ事が他の人にもエデュケーショナルであり、役に立つような配慮が伴う姿勢がある。2008年3月末、多摩美術大学の生産デザイン学科卒業制作の講評で、学生の表現に寄り添い、共感を伴って作品を講評する言葉を聞き、大学が関島さんのような教育者を必要としていることに合点がいった。眼の前に起っていること、現実から出発して自分自身を鍛える方法を獲得したアーティストであるからこそ、若い制作者たちに、優れた指導者としての役割を果たせるのである。関島さんの作品は概念のレベルでも製作のレベルでも「かご」である。「かご」でありつづけ、しかもアートであるという作品と対峙すると、私たちは自分の工芸、美術、「かご」についての考え方や範囲を様々なレベルで改めて点検することを迫られるのである。