多能な表面体「変容」―林辺正子


       これは約十年前、わたしが林辺さんの作品について書いた文章です。ここに並んでいるその後の作品とは、違っているところもありますが、しかし、林辺さんが制作を通して目差していた境地という点では通底しているところもあります。そこで、あえて皆様に一覧していただこうと思いました。林辺正子という類い希な織物作家がいずれきちんと評価される日が来るまでの、備忘録、よすが、といったところです。
  樋田豊次郎


 林辺正子さんは自分の作品を、今日の社会や文化から隔たらせようとしているようだ。作品に投影されているイメージが、出土品や、古代の海や神殿の門であることがそう思わせるのだろう。
 そうした古代のイメージはこの作家がたんに時間的に現在から遠く隔たっているというだけではなく、感覚的にも現在のそれらとは異質であると主張しているようだ。同じ海ではあっても、林辺さんが感情移入しているギリシャ神話の舞台となった海と、現代の海とでは、色合いも感触も違うのではないか。この作家の制作する海は、遠い非現実の海のようである。
 そのことを視覚化させるために林辺さんは、染めた糸を次第に褪色させていくという、染織工程としては異例な手法を試みた。
 しかし、見落としてはならないのは、いかに海のイメージが非現実化されようとも、彼女の作品からは人間のにおいが決して払拭されないということである。出土品や神殿の門は人工物なのだから、たとえ廃墟になってもどこかに人間の痕跡が残るのは当然だとしても、彼女の場合は海でさえも神話と結びついているのである。
 こういう点で、林辺さんの現代社会や文化、そして、人間にたいする態度は両義的だといえる。現代に背を向け、ギリシャ神殿の門をくぐり抜けた遠い地平を憧れながらも、そこでまた人間の匂いを探し求めているのだから。

人間がもちつづけている動物的な要素――たとえば、身体の臭いや、皮膚の湿り気や、むき出しの視線や、不条理な欲望が、気配として自分の作品に反映してしまうことを、林辺さんはできるだけ避けようとしているのだろう。
 自分で糸を染めて織った布地を褪色させたり、緯糸に真鍮線を使って布を織り、その布を何度も曲げたあげく元の平面に戻したりする手法は、彼女がその作品の制作にかかわった痕跡をなるべく感じ取られないようにしているかのようである。それでも作品にはどこかに作者が滲み出てしまうにしても、そこに出てくる自分は、それとはっきりしない、欲望の希薄化した、あたかも自然の摂理と同化してしまったかのような、かすかな自分なのである。
こういう願望をひとつの観念として理解しようとしているうちに、林辺さんは「リゾーム」という言葉に行き着いた。リゾームは、フランスの哲学者、ドゥールーズとガタリの用語で根茎を意味する。西洋哲学の伝統である体系的な思考法を問い直し、地下茎のように、多方向的、重層的な思考法の重要性を気づかせるために提示された。
 林辺さんはこの言葉を拠り所にして、自分の作品を中心のない、どこからでも回路に入ったり出たりすることのできる、異質なものどうしが接合されている状態の表現なのだと説明している。言い換えれば、彼女にとって作品とは、つねに「変容」し、つぎの状態を探し求めて逍遥しつづける状態をあらわしているということになるのだろう。
 もっとも、ここに示されている考え方は、今日の先端的芸術にとってはそれほどめずらしいものではない。リゾームに類する概念の引用は、しばしば見かけるところである。こういう「変容」を主題にした観念がいま注目されているのは、それが人間の生きようとする本能を蘇らせてくれるからなのだろう。
 ものごとの生成は移ろいゆく状態によってしか認識できないにしても、自分をその傍観者にしたくはないという思いが、「変容」を制作上のキータームとして浮上させているのである。

この点で、林辺が最近の個展(一九九〇年、ギャラリー・ギブリ)で発表した作品は、象徴的である。というのも、今回の作品は自立していたからである。これまでの彼女の作品は、壁に掛けられたり、円柱に巻き付けられたりしていたが、今回のそれでは、人物像のようにも見える立体が六個、床にそれ自身で立っていた。この変化がなにを意味するのか、いまのところまだ作者にもはっきりとはしていないらしい。
 したがって、ここから先はわたしの推測なのだが、林辺さんが自分の染織品と、既存の建造物などとの関係を絶ったのは、結局、作品を出土品や神殿の門の形と連係させてみたところで、また、作品にギリシャ神話のイメージを与えたところで、所詮、作品から自分の匂いを消し去ることはできないということに、彼女が気づいたからであるように思われる。
 変容していく自分は捉えがたいといっても、まず自分が実在しているという事実を認めなければ、変容していく自分すらも示せないという逆説に、林辺は気づいたのだと思われる。人間の生が変容しつづけるうちに消滅してしまうものではないことを、林辺はいずれ作品にして見せてくれるに違いない。

  林辺正子(はやしべ・まさこ)
  一九四〇年  東京に生まれる。
  一九六五年  東京外国語大学ドイツ語学科を卒業。
  一九八九年  日本クラフトデザイン協会展で、クラフト大賞を受賞。 
  一九九四年  素材の領分展 東京国立近代美術館
  一九九六年  美術の内がわ・外がわ 板橋区立美術館
  一九九九年  オブジェの系譜展 東京国立近代美術館
  二〇〇四年  五月十六日、没。